長野県上高地にある大正池から「枯れ木も山の賑わい」のことわざの間違った使い方を考える

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前回の記事では、

長野県上高地の明神池は一度は訪れるべき。最高の自然から得られる感情報酬

という話をしました。

今回は、上高地を代表するもうひとつの池、

「大正池」へ行ってきました。

そう、オレ、らーめんどくたー”大将”と同じ名前の池!!!!!!!!

(ちなみにたいしょうは本名なのです実は)

親近感を持ちながらLet’s 観光♪ と言いたいところだがその前に。

突然ですが、

ことわざ「枯れ木も山の賑わい」について正しい意味を下記より選んで下さい。

a) つまらないものでも、無いよりはまし

b) 人が集まれば賑やかになる

どうでしょうか、選べましたか?

 

この問題、平成26年の文化庁が発表した「国語に関する世論調査」によると、

なんと、37.6%の人しか正解を選べず、47.2%の人がもう一方の誤答を正解だと思い込んでいたのです。(残りの人はその他の選択肢をバラけて選択)

しかも、平成16年のデータと比べると、間違いの選択をした人は10%増えているのです。

 

・・・。

というか、何故いきなり枯れ木?と思った方も多いと思います。

この問題の答えとともにわかりやすく、解説していきます。

 

枯れ木だって、大正池の代表的な景観シンボルなんだぜ!

大正池の真ん中には、代表的な景観シンボル、”枯れ木”がそびえ立っています。

 

大正池の案内板によると、

この池はもともと森で、噴火の泥流で川がせき止められ池が作られたとのこと。

そのため、昔は池の中にはたくさんの枯れ木が覆い茂っていたそう。

しかし、寿命とともに、だんだん枯れ木が無くなっていき、景観としての趣が無くなってきている哀愁に満ちた状況が、この看板から読み取れます。

 

要するに、たとえ枯れ木でも、なければ池はただの池であり、それでは殺風景です。

つまらない枯れ木だとしても風情の足しになっており、ないよりはマシです。

「枯れ木も山の賑わい」と言うことわざは、元々は自分のことを「つまらない者」と、謙遜して使っていた言葉でしたが、

いつしか「人が集まれば賑やか」といった間違った使い方をしてしまうようになりました。

よって、パーティーなどでも「招待される側」が謙遜し、

「枯れ木も山の賑わいですが、参加させていただきます。」→○

なら正しい使い方ですが、「招待する側」が、

「枯れ木も山の賑わいと言いますが、是非参加を・・・」→×

というのは相手を「つまらない者」と言っているのと同じ意味をもってしまいますので間違った使い方になります。

つまり、正解はa)であり、b)は間違った使い方であることが理解できると思います。

 

間違った時は素直に謝ることが大切!

僕は、別にことわざの意味を解説したかった訳ではありません。

僕が今回一番伝えたかったことは、

「間違ったことがあれば、素直に認めて謝ることが大切だ」

ということを伝えたかった訳です。

人間は誰しも間違いを犯します。それは当たり前です、完璧な人間なんていない訳ですから。

でもそこで、間違った時、

人は自分の自尊心を守ろうと、素直に誤ちを認めなかったり、

酷い人は「逆ギレ」して威圧することで、相手を屈服させようとします。

 

大正池も、いずれ寿命が来て、全ての枯れ木が無くなってしまうかもしれません。

でも、その枯れ木が、僕に教えてくれたこと。

そしてこの記事を読んで読者の方が感じてくれたこと。

その事実は絶対になくなりません。

 

最後に、上高地は本当に超自然に囲まれた素晴らしい場所です。

自然を観ながら、ブログを書く。

この感情体験は、今後のブログへのモチベーションにもつながっていきます。

ぜひ、一度みなさんも訪れてみてください。

野生のお猿さんにも会うことができますよ!!!(笑)

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